ただ一緒にいただけ

そこにいてくれさえすれば

いまとてもしあわせです、という話です。

ひろちゃんがカウントダウンみたいなこと始めたのじわじわかわいくてじわじわ嬉しい。「そこ」に向けて、昨日を糧に今日を頑張って明日に備えるひろちゃんを感じて、楽しみにしてるんだなぁ、緊張してるんだろうなぁ、あーーーついに始まるんだって思ったら、なんか、色んなことがぶわっと巡ってうるうるしてきた。


結論から言うと、「ひろちゃん頑張って。応援しています。だいすきです。」ってそんなようなことを書きたいのだけど、
ごめんね、未練がましい人間で過去にしがみつく人間で、でも、どうしてもこの半年のことなしには、ひろちゃんに「頑張って」も「だいすき」も言えないので、遡ります。暗い日々があったけど、今となっては全部必要な時間で全部必要な感情だったと思います。確かに暗いけど、だけど決して暗いだけではなかった。ひろちゃんが、暗いだけじゃなくしてくれた。ひろちゃんだったから。悲しいさみしい嫌だ、って絶望した先に待ってた未来がこんなに明るいなんて思ってなかった。




2月10日、配信されたJr.情報局の動画にひろきくんがいなかった。ジャニアイ中に収録されたものだろうに、ひろちゃんいなかった。こーちくんもいなかった。こーちくんは他番組の収録だろうって言われていて、ひろちゃんも別仕事かなぁ??!!舞台のお仕事入ったかなぁ?!なんて考えて、なんでいないんだろう、って思う気持ちは一切押し込めた。残念に思ったけど、そんなに不安ではなかった。これが始まり。

2月13日、少年倶楽部の収録にひろちゃんいなかった。でも、美勇人くんとのえるくんもいなかった。だけど、ひろちゃんだけに、退所の噂が流れた。全っっ然信じてなかった。すぐ退所させたがる人いるよね、って若干の喧嘩腰になりつつ、本当にそんなことありえるはずがないと、心の底の底の底から本当に思っていたので、あんまり気にもしなかった。

2月14日、朝ブルータス選抜組にひろちゃんが入ってることが分かる。なんだ!大丈夫じゃん、選び抜かれるくらいだもん、やっぱ大丈夫じゃん?!スーツ嬉しくって楽しみで良い朝だった。夜には3月にえび座円盤化のお知らせ。待ちに待ったさっくんでりしゃすな愛。しょーたいむ。楽しみ。明日が楽しみ。来月も楽しみ。

2月15日、平凡BRUTUS発売。ダンヒルのスーツに身を包んだひろちゃん。総額539,000円。決して足が長いわけでも、特別身体が細いわけでも、お顔がめちゃくちゃ小さいわけでもない。だけど、柔らかい目でこちらを見るひろちゃんは、23歳には見えない落ち着きがあって、上品で、育ちの良さが滲み出て、かっこよくて、本当に素敵だった。

2月19日、来週のまいじゃににとらびすじゃぱんが出ることが分かる。予告にひろちゃんも映ってた。ミルクティーみたいな色の髪で前髪が左に綺麗に流されたひろちゃん。ジャニアイ中に見たひろちゃん。喋ってるひろちゃんが見れるかな?!ってまた来週が楽しみになった。

2月21日、MyojoのTravisJapanのページにひろちゃんの姿だけがなかった。テキストには名前すら出てこなくて、いないことに誰一人触れなくて、触れてはいけないことのように進むテキストだった。退所の噂はじわじわ大きくなっていたけど、Myojoの不在でかなりざわざわするようになる。不安になりながらも、お風呂苦手だからかな?!とかどうにか理由をつけようとした。

ジャニショのひろちゃんのお写真が売り切れ始める。再入荷の予定を店員さんに聞いた人の、再入荷はない旨のツイートや、仲田拡輝のみでなくジャニーズ銀座のコーナー自体がなくなるから入荷はない旨のツイートで、TL全体が一喜一憂する。だからどうとは思えなくて、正直ほっといてくれって思った。

2月23日、Jr.情報局からジャニーズ銀座のお知らせのメールが届く。待ちに待ったお知らせ!楽しみにしてたお知らせ。
だけど、TravisJapanの文字のあとに続くメンバーの名前の中に仲田拡輝の文字はなかった。そんなわけないじゃん、噂ばっかり広まってやだなって、ひろちゃんが知ったらどう思うかな、笑うかな、「なんでそんなことになってんの、やめるわけないのにね」って笑うかな、それとも、「今に見ててね、でっかい仕事報告できるんだから」ってわくわくしてたりしないかな、って、今まで頑なに背いてきた噂が一気に信憑性を増した。動揺と困惑と不安が広がって言葉も出なかった。頭の中の情報を整理できなかった。噛み砕けなかった。理解できなかった。


ひろちゃんの言葉を探した。やめるわけないって、大丈夫って、思いたかった。毎日毎日ひろちゃんの言葉を繰り返した。「マジでいく」「まだまだこれから」「より大きい会場で」「ネクストステージ」「見せつけたい」「負けてられない」って、まだ、もっと、次は、来年は、ってその言葉は、どれも前を向いていて、明るくてキラキラしてて希望しか感じなくて、これから楽しみ!ってワクワクさせてくれる言葉ばかりで、やっぱりいなくなるわけないじゃん?!って何度も何度も思ったし、何度も言い聞かせた。いなくなるわけない。


2月26日、まいじゃに出演。ちゃんと、トラビスジャパンの中に、ひろちゃんはちゃんといた。全然喋らなかったけど、それでも、めっちゃひろちゃんだった。小さくかわいくする拍手と、佐久間くんのオタ芸に合わせてする独自の手振りと、前に出ないで周りの空気に合わせるように笑ったり動いたりするとこ、めっちゃひろちゃんだった。いなくなる事実があって仕事を制限していたのだとしたら、まいじゃにだって出なかったんじゃ?と思うと、まいじゃにの出演は少しだけ安心させてくれた。


さようなら、ありがとう、おつかれさまってひろちゃんに別れを告げるツイートが増えた。めちゃくちゃ増えた。見たくないのに、見なきゃいいのに、不安で、誰かに大丈夫って思わせてほしくて、大丈夫って言ってほしくて、また検索して何度も不安になった。ひろちゃんのプロフィールページを毎日確認した。何度も確認した。

3月になると、ひろちゃんのプロフィールは消されるって噂が流れた。あの事務所に限って、そんな律儀にしっかり3月始めに、だなんて、あるわけないと思いながら、あるわけないと言い聞かせながら、



3月1日、びくびくしながら0時を迎えた。あぁよかった、まだいるって安心して眠った。起きて、見るからに混乱した友だちからのLINEの通知を見て、心臓が無駄に早く動いて、急げ急げって、なんでかは分からないけどとにかく早くって、震える手で、それまでに何度開いたか分からない見慣れたはずのページを開いた。何度も確認したあのページは、同じようで違っていて、いつも瞳の真ん中に見ていた部分が綺麗に切り取られていた。あまりにも悲しくて、やだ、やだ、って全身が叫んで、確かにあの日私は絶望しました。


大げさに聞こえるかもしれない。でも本当。ずっと、1日たりともかかさずずっと、ひろちゃんにどきどきわくわくして、楽しくて、沢山幸せをもらって、そうゆう毎日だった。きらきらしてた。当たり前じゃないのにそうゆう毎日が当たり前になってた。毎日を構成してくれていたそのきらめきを全て失うと分かった時、私の毎日に残るものってなんだろう、どうやって生きてきたっけ、どう過ごせばいいんだろ、自分の明日が検討もつかなくて、漠然と何も分からなくなった。ただ泣くしかなくて、でも泣いたって、どんなに悲しくたって、やだって言ったって、どうにもならないことで。人生なんて大抵のことはどうにかできて、どうにかならなくて諦められないほど執着するものなんて今までありもしなかった。自分の力だけではどうにもならないことがあるんだなぁって、初めて実感した。
確かにあのとき、あの瞬間、私は絶望しました。



名前がなくなってもまだそこにいると思っている自分がいて、どうにかこうにかいつか何かの仕事を終えて何事もなかったかのように戻ってくる気がしてしまって、ジャニーズの世界にいる仲田拡輝を諦められない自分がいて、2月の「分からない」時期は本当にしんどかったけど、3月の「信じられない」「諦められない」時期も、うんとしんどかった。



3月24日、ひろちゃんの団扇を持ってひろちゃんに会えると思っていた、Jr.祭り横浜アリーナ初日。いるはずの人が本当にいなくて、どこを見たらいいのか分からなかった。けど、どこを見ていても、目の前にいないのにわたしの目の中にはずっとひろちゃんがいた。いるのにいない虚無感と、なんでいないの?!って混乱する気持ちで、実際には何ひとつ見ることができなかった。

3月26日、ステナビでTravisJapanが去った人たちについて語っていた。きっと誰も何も明言してくれないと思ってた。ずっといたのに、あの子たちの真ん中に確かにいたのに、まるで最初からいなかったかのように、誰も何も触れず、そうやってこれからが進んでいくんだと思ってた。でも、そこには、ひろちゃんの口から語られたと思われる「夢を追いたい」って言葉があった。

きっと戻ってくるって、そんなことあるはずないのに、バカみたいにそう思うことでしか自分を保てなかった。けど、ひろちゃんの意思に触れた途端にストンとおさまるものがあった。諦められない、それはきっとずっとそうで、でもそれでもひろちゃんのことを応援したいと、純粋に思ったのです。





4月1日、ひろちゃんは、新しい名前と肩書きと独特の文章をまとって帰ってきてくれた。お茶目すぎるプロフィールと、闇が垣間見えるポエム、今までのこと、これからのこと真っすぐ見据えて静かに静かに覚悟を決めているような、そんな文章だった。そして、ブログの最後には、まさかの舞台のお知らせ。嬉しかった。ただそこにいると思えることが、表に立ち続けることを選んでくれたことが、とても嬉しかった。だけど贅沢にも、本当にもうあの子たちの真ん中で笑うひろちゃんには会えないのだ、と思ってしまった。これからどうなるかなんて誰にも分からなくて、新しい世界のことを私は知らなすぎて、信じられるものはなくて、ひろちゃん、ごめんね、まだまだ未練の方が大きくて。


ひろちゃんがいなくなった世界は、何事もなかったかのようにあり続けた。流れた時間の分だけ、7人の媒体は増えた。ひろちゃんが何回同じ人に告白するか知りたかったし、シャワー派か湯船派か知りたかったし、ダンス覚えるのは早かったのかレッスンはふざけるタイプなのか、知りたかった。歌ってほしい曲や踊ってほしい曲ばかり増えた。
とらじゃは雑誌のインタビューで、「鍋、あらんも呼んでやろうか!」って言った。その言葉を見てだーだー泣いた。7人のとらじゃはこちらが悲しくなるほど変わらず本気でかっこよくて、とらじゃがかっこよければかっこいいほど、悲しくなって寂しくなった。だけど、きっとそのときにはひろちゃんも呼んでくれるんだろうなって思った。とらじゃはいなくなった人の場所を最初からそうだったように自分たちで完璧に埋めて100%にして魅せるのが上手い。何度だってフォーメーションを変えて、100%にしてくる。それが寂しくって、だけどそれは、本当にいなかったことにするわけじゃなくって、それが精一杯の本気だし決意だし去った人へのエールでもあって、8人になっても7人になっても、きっと根底では9人、っていつも思ってくれてるんだろうなって思えた。最初からいなかったかのようにする、けど、最初からいなかったわけじゃない。全部受け入れて送り出して、じゃぁどうする、って話して悩んで覚悟して決意して。ひろちゃんが一緒にいた仲間は、ひろちゃんが作ってきた関係は、こんなにも心強くて、それが勝手に嬉しかった。ひろちゃんのこと、勝手に誇らしくなった。


ひろちゃんがいないことに慣れることなんてまだまだなくて、同じように世界はあり続ける中でひとり取り残されて行く気分だった。きっと仲田担みんなそうだったんじゃないかなと思う。
クリエが始まって、TLにオリフォが流れてきた。画面をスクロールしながら、まだかなまだかなって誰かを探してて、はってする。そうだった。いないんだった。‬レポが流れてきてかわいくて楽しみで、だけどどこか他人事な自分がいて、なんでだろ、あ、ひろちゃんがいないんだってまた気付く。そんなことの繰り返し。



5月5日、朝早くひろちゃんの百名としての初舞台「ボクが死んだ日はハレ」のフライヤーが公開された。2月26日、まいじゃにを最後に姿を見せなくなって、それから2ヶ月とちょっと。久しぶりのひろちゃんは、短く切った前髪と刈り上げたサイド、こちらにピンと向いた両耳、きりっと凛々しかった眉毛が心なしか少し柔らかく見えて、やっぱり唇は分厚くて、優しい優しい目をしてた。遅れてブログを更新したひろちゃんは、フライヤー解禁を、お顔を見せることを、「特に楽しみでした」って言ってくれた。
悲観的なわけじゃなくて、怒るとか悲しいとか皮肉とかそうゆうんじゃ全然なくて、だけど事実として、置いてかれてしまった、ってゆう気持ちがあったのだけど。あぁひろちゃん、全部置いてっちゃったんだなぁって、思ってたんだけど。帰ってきてくれた新しいひろちゃんは、P.Sってなんでもないことを付け加えてくれたり、沢山寄せられたコメントに触れてくれたり、お顔を見せることを楽しみにしてくれて、少しずつ少しずつ自分のことも話してくれて、それが嬉しくて嬉しくて。あぁまた連れてってくれるんだ、って思った。置いてけぼりにしないよって、良ければ一緒にどうかなって、押し付けるでもなくとてもとても謙虚に控えめに、一緒に連れてってくれようとしているようで。それがすごく嬉しかった。そして、「頑張れる場所を頂きました 私の好きな場所です」の言葉をみて、もうぶわって溢れて、ひろちゃん、ごめんね、だいすき、だいすきだよ!ってどうしようもなくなった。まだ一緒にいられる、これまでのようにとはいかなくても、それでも、ひろちゃんが情熱を注ぐ姿をこれからも見られる、ひろちゃんがいま一番好きな場所にいられる、そう思ったら。もうなにもかも何でもよくなって、未練があって、今もそれはあって、だけどそれとは別の場所で、それに気づかせないくらいに新しいひろちゃんの活動が楽しみで楽しみで仕方なくなった。



5月10日、「ボクが死んだ日はハレ」の舞台の一般発売が行われた。朝10時、ネットでの先着申し込み。1分も経たず完売になった。その後すぐにチケットサイトに高い値段をつけられて掲載された悲しいチケットたち。その日のうちに演出家の方がチケットについてのブログを更新した。そのあとすぐ、ひろちゃんもブログを更新した。悲しくて強くて優しいブログだった。チケットについても今までのことについても、ある意味では悲しいことを言おうとしていて、言わなきゃいけないって考えていて、だけどきっとみんなが悲しくならないようにって、あのかわいい模写をくっつけてくれて、不安にさせてしまったねって、付け加えてくれて、そして挑戦をやめません、と。優しさと強さがいっぱい詰まった文章で、ひろちゃんの懐の深さというか器のでかさというか、思慮の深さがすごくて、だけどやっぱりいろんな意味で悲しいブログだった。

5月11日、新しい舞台の情報。「マクベス」そのすぐあとに共演するすんらさんもブログを更新。ひろちゃん、もう情報解禁してもいいですか?!って掛け合ってくれたのかなって、そう思わざるを得ないタイミングだった。みんなひろちゃんに会いたくて、会えないの悲しいってコメントしてて、すぐ会えるよ!会いにきてよ!って、情報解禁してくれたようで、ほんと、思い込みなんだけど、そうとしか思えなくて、優しさしかないなぁって思った。


ひろちゃんは、自分でこそ自分の姿を見せなかったけど、ひろちゃんの周りにいる人によって、ひろちゃんの今の姿は結構な頻度でSNSに出回るようになる。



7月1日、ついに百名ヒロキ名義で舞台のチケットの先行予約ができるチケットクラブが開設される。その名も「100na ticket club」!!なんと愛しいネーミング。そして、初めて自分で自分の姿を見せてくれる。

7月4日、まったりゆったり始まったカウントダウン、初舞台「ボクが死んだ日はハレ」初日まであと8日。






今まで見てきたひろちゃんが大好きで、間違いなくあの時あの瞬間、どの瞬間も目の前にいるひろちゃんが大好きだった。歌って踊ってるひろちゃんが、みんなに手を振るひろちゃんが、優しい目で探してくれるひろちゃんが、大好きだった。

だけど、私は今、ひとりで、夢に向かって、自分のやりたいことなりたい自分に真正面から向き合って、ひとつひとつ自分のものにしようとするひろちゃんが、間違いなく大好きです。

あの時のひろちゃんとは、私が好きだったひろちゃんとは、いろんなものが違って、変わって、まだ生の姿だって見てないけど、でもわかる。全然わかる。だって、かっこいいなんて二の次で、自分から前へ前へ出るタイプではなくて、だけどしっかり自分を持ってて、実は頑固で、目が優しくて、そうゆうとこ好きになったんだもん。ブログの文章も、他人のSNSばかりで披露される姿も、ひろちゃんはひろちゃんでしかなかった。好きに決まってる。

自分は今までの日々を捨てきれなくてしがみついて何度も悲しくなって寂しくなって、だけど、そんなのどうでもよくなるくらい、ひろちゃんが頑張ってるのが、やりたいことやれてるのが、日々が充実してるのが、悩んでても楽しそうにしてるのが、こんなにも嬉しい。こんなの好きじゃなかったらなんなんだろう。





それにね、ここがひろちゃんのすごいところなのだけど、悲しくったって寂しくったって、ひろちゃんの言葉を聞く度に、あぁこれでよかったんだ、って思える。
積み上げた経験や関係があって、恵まれた環境があって、これから先が楽しみって思えるくらいに仕事だってあった。それなりに求められてた。そうゆう場所から抜けて、勿体無くないのかって。やっぱりあの場所でなきゃできないことがあったんじゃないかって。厳しい世界でひろちゃんの夢が叶うかだって分からないじゃないか、って。外野がそう言いたくなるくらい、このタイミングで?!とゆう時期にひろちゃんはいなくなった。結果がすべてではないけど、目に見えるのは結果で、いつかそれが目に見えた時、やっぱりそこにいればよかったのに、と他人に言われてひろちゃんが傷つきやしないかと、ひろちゃんが後悔しやしないかと、怖かった。お節介にも勝手に怖かった。けど、そんな心配は少しも必要なかった。ブログが更新される毎にそれが分かる。ひろちゃんは多分、後悔なんてしない。もったいないとか、恵まれてるとか、求められてるとか、そうゆうことは関係なくて、そうゆうことは、そこに「いる」「いない」の理由にはならなくて、天秤なんていらなかった、そう言い切ったひろちゃんに少しだけ寂しさを感じながら、それでもその意思の強さと芯の強さが本当に本当にかっこいいと思った。
悲しい寂しい嫌だ、これで本当によかった?ひろちゃん幸せになれる?何度も何度もバカみたいに感情が右往左往して、すぐ暗い世界に引き込まれて、だけど、ひろちゃんの言葉を聞くたびに、こちら側に連れ戻される。ずっと前みてて、好きな世界で好きなことができることにわくわくしてて、挑戦することが楽しくて、周りにいっぱい感謝して、今が幸せで、今が自分らしくて、今以外ありえなくて、未来は明るくて、こちらは未練に縛られたりするけど、そんなものいらないんだよ、ってずっと言ってくれてるみたいで、何にも縛られてないひろちゃんはかっこいいし、これでよかったんだねって思わせてくれるひろちゃんは本当に強くて優しかった。ひろちゃんがこんな風に思えるのならこれでよかったんだ、私もうれしいな、って思えて、それを共有できる環境を作ってくれて本当に幸せだなって思えた。何度だってひろちゃんはこちら側に連れ戻してくれた。

ひろちゃんを好きになってから迷いなくずっと幸せで、なんでだろうって思って、やっと今少し分かったのは、いつも、いつだってひろちゃんはこれからを信じさせてくれる人だった。明日を楽しみにさせてくれた、来週を楽しみにさせてくれた、来月も楽しみで来年も楽しみで、不安定でどうなるか分からなくて、それでも、ひろちゃんはこれからを信じさせてくれる。毎日明日が楽しみだったの。だからこそ、いなくなって何もなくなって、信じてたこれからが一瞬で崩れて、怖くて分からなくて辛かった。でもこうしてまた戻ってきて、変わらず明日を楽しみに思わせてくれる。以前より格段に安定しない世界で、けれど少しだけ柵も少ない世界で、イチからだけど、それでも、なんの疑いもなく、ひろちゃんはまた、これからを信じさせてくれる。



‪表にいることを夢見てくれて、それに対してちゃんと努力してくれて、結果今までとは少し違った形でひろちゃんの姿を目にできる。近況や気持ちを知ることができる。ひろちゃんが変わらずだいすきなひろちゃんであることが分かって、変わらず毎日ひろちゃんのこと考えるのが当たり前な日々で、肩書きが変わっても変わらずだいすきでいられて、変わらず毎日好きは更新して、好きは増えて、大好きが積もって、それが本当に本当に幸せで、こんな未来があるなんて、少しも、これっぽっちも思ってなかった。


暗いと思ってた日々は、今こんなにも明るくて幸せで満ち溢れています。暗いだけじゃなかった。あの日々はなくならないけど、それ以上に、もっとひろちゃんのことを好きになれた半年間でした。ひろちゃんじゃなきゃきっとこうはならなかった。全部全部ひろちゃんのおかげ。ひろちゃんを好きでよかった。ひろちゃんを好きになれてよかった。ひろちゃんでよかった。



‪‪頑張ってるひろちゃんが、ひろちゃんが見せてくれるひろちゃんが、すきで、すきで、だいすきで、いま、間違いなく、いまのひろちゃんが大好きです。




初舞台まであと3日。

どうかどうか、ひろちゃんの第一歩が、その名の通り晴れやかで、素晴らしいものになりますように。




ひろちゃん、ありがと。
頑張って。だいすきです。